宝生能楽堂で能楽を観る

今年になって、1月、2月と水道橋にある宝生流の能楽堂である「宝生能楽堂」で鑑賞の機会がありましたので、合わせて紹介します。宝生能楽堂は、中に入るとりっぱでけっこう広いですが、やや暗い感じの舞台。歴史を感じますね。

1月は狂言「清水」と能「野守」です。今回は自由席だったので、早めに行って普段とらない正面席で観ることができました。橋掛かりの方向も首を大きく動かさなくて観られるのはよいですね。

まず解説として、能楽師の佐野登さんの話が約20分あり、続けて狂言「清水(しみず)」です。主から茶の湯の水を遠い清水まで汲んでこいといわれたが、それがイヤで鬼が出てできなかったと言い訳をする太郎冠者。そのとき忘れてきた手桶をとりに主が向かうと、先回りして鬼の面を着けだまそうとします。変だなと思う主との掛け合いが面白いです。

シテ/主:山本 則重、アド/太郎冠者:山本則秀 約30分

休憩後、能「野守 (のもり)」です。羽黒山の山伏が春日の里に着き、野守の老人に池が「野守の鏡」であることやそのいわれを教わります。後半、山伏は祈祷をすると鬼神が鏡を持って現われ、様々なものをそこに映し出します。そして鬼神は大地から奈落へと入っていくのでした。

前シテ/野守の老人・後シテ/鬼神:今井基、ワキ/山伏:野口能弘、アイ/春日野の里人:山本凜太郎 約75分

2月は、少し長い公演でした。今回は中正面で見ました。まず、仕舞「頼政」、「三山」、「是界」があって、続けて、能「鉢木」、休憩後、狂言「鶯」、続けて能「海人」です。

能「鉢木」は、寒い雪の中、旅の僧(ワキ)が宿を借ります。僧は一軒の人家に宿を借りようとするが、亭主は窮乏ぶりを恥じながら、一旦は断ったものの家へ迎え入れます。夫婦はわずかばかりの食事を出し、残っていた鉢木を火にくべて暖を取らせます。亭主は今は窮乏に至っているが、それでも鎌倉に一大事とあらばすぐに駆けつける所存だと語り、佐野常世と名乗ります。
後半、事が起こり、常世もやせ馬に乗り鎌倉へ駆けつけます。そこで、以前の僧だった執権・北条時頼から呼び出しを受け、覚悟を確認された常世は領地を与えられ、讃えられるのでした。
シテは直面(面をつけていない)です。シンプルながら、潔さが気持ちよい能でした。

シテ:大坪喜美雄、ツレ:大友順、ワキ:森 常好、ワキツレ:梅村昌功、
アイ:野村太一郎、野村裕基

狂言「鶯」は、男が、飼っている鶯を入れた籠を置き離れて楽しんでいると、主人のために野辺の鶯をつかまえようと竿を持った家来がやってきます。籠を持ち去ろうとするところを飼い主が現れ止められます。そのうち、家来が鳥かごの鶯を刺せれば持ち帰り、失敗すれば太刀と刀を置いていくことで話がまとまり、試行しますが2回とも失敗してしまいます。家来は、昔の歌を詠み、竿を捨てて去っていきます。
なかなか、しみじみとした狂言でした。

シテ:野村萬斎、アド:石田幸雄

能「海人」(あま)です。藤原不比等の子どもである藤原房前(ふさざき)は、讃岐の志度の浦へ母の追善に行き、海人から自分の出生の秘密を聞きます。海人は龍宮から奪われた玉を取り返す命がけの様を演じ、我こそが母の亡霊であると告げて消えていきます。
後半、房前はもらった手紙を開け供養をするうち、亡霊は今度は龍女の形で現れ、舞を舞って成仏を喜びます。
それぞれの舞が興味深い作品でした。

シテ:東川光夫、子方:出雲路 啓、ワキ:舘田善博、ワキツレ:則久英志、吉田祐一、アイ/:深田博治

ジョージ について

旅行大好き、飲食大好き、劇場、博物館・美術館大好き、好奇心旺盛なごくふつうの会社員です。社会問題含め、いろいろ書いていこうと思います。
カテゴリー: シアター, 文化 パーマリンク