中銀カプセルタワー見学

銀座8丁目にある「中銀(なかぎん)カプセルタワービル」を見学してきました。このビルは黒川紀章が設計した世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅(マンション)で、1972(昭和47)年に建てられたものです。
建築物として、黒川紀章の初期の代表作で、いわゆるメタボリズム(社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築という提案)の、ある意味実験的な作品でもあるというものです。もともと新聞記事か何かで初めて知ったのですが、銀座にこのようなものがあるとはその前には全く知りませんでした。簡単な内部見学ツアーがあることを知り、かなり前に予約をしてようやく行ってきました。

現在この建物が近くに行っても気づきにくいのは、高速道路が近くにあること、遠目には近代的高層ビルが建ち並び、またビル自体も49年と古いのでもともと白かったのが汚れ、さらに8年位前からは安全のためネットがかけられていること、等々から目立つ存在とはいえないのでしょう。しかしこのビルは2011年の東日本大震災をも乗り越えています。銀座地区のはずれ、新橋が近いのですが、そこからも若干歩きます。

見学は、まずエレベータで12階まであがり、全体的な説明を受けた後、9階の創建当時のイメージと近く、見学用になっている1部屋をじっくり見ました。外観では部屋(カプセル)が多数あるとは思えなかったのですが、実際の建物は南側のA棟、北側のB棟の2つに分かれていて、3階から13階までの居住フロアはそれぞれで戸数は違いますが、多いところでは16くらいもあり、合計で140戸もあるのです。カプセルはもともと独立性が高く部屋ごと交換することも技術的には可能な設計になっているのですが、実際には配管の問題や、一部のカプセルだけを交換することが困難であることなどから、全体の意見もまとまりにくく、現在に至るまで当時のままということです。
1つのカプセル(1部屋)の面積は 10 m2 (4m × 2.5m) ほど。部屋は買い取りで、土地は借地権。「ビジネスカプセル」というのがもともとのコンセプトで、ビジネスマンのセカンドハウス・オフィス・ホテルなどの利用が想定されていて、ベッド、エアコン、冷蔵庫、テレビ、ラジオ、電話、オープンリール式テープレコーダー、収納など、オプション含めて当時として最新の設備が完備されていました。また小ぶりのバス・洗面・トイレでできた「ユニット」もある一方、洗濯機とキッチンはないつくりです。しかしもともとフロントサービスで支配人、フロント、エンジニア、ビジネスサービス(コピー、タイプライター、計算機)、ルームキーパー(クリーニング、ベッドメイク)等々の人員がいたサービスが提供されていたのです。

ツアーは、所有者の方がやっていて、45分くらいの所要時間、定員6名で3000円です。
現在の所有者・使用者は、実際に住んでいる人、趣味用に使っている人、いろいろな用途で貸している人などに分かれるようです。最終的に保存か、立て替えかなどはまだいろいろな動きがあり得るようです。現在の使い方を写真でオープンにしている書籍も出ています。


中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト編『中銀カプセルスタイル』草思社 2020年12月発行

貴重な体験ができました。

なお、建物の近くには中央区が建てた史跡の碑がありました。芝口御門跡。このへんは、汐留川が流れ、橋(新橋)があったところで、1710年(宝永7年)には新橋の北詰に城門が建設されていた場所ということです。

芝口御門跡

ジョージ について

旅行大好き、飲食大好き、劇場、博物館・美術館大好き、好奇心旺盛なごくふつうの会社員です。社会問題含め、いろいろ書いていこうと思います。
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