能「道成寺」を観る

能を知る会ちらし
能を知る会ちらし

6月の話ですが、国立能楽堂の貸し公演(鎌倉能舞台・能を知る会)として「道成寺」があると知り、早速購入しました。値段は高めですが、なかなか上演機会も多くないので奮発しました。この演目は相当な昔に1回だけ観た経験があるかと思いますが、細かいことは忘れてしまいました。静かな動きと見えてもシテの鼓動は大変なものがある、後見との間の合わせがうまくいかないと事故につながる、などの緊迫感にたまらなく関心を持ちました。
さて、久しぶりの鑑賞はいかがだったでしょう。演目は、狂言「樋の酒」、能「道成寺」が中心で、前に講演(解説)と間にいくつかの仕舞(能の一部を素で舞うもの)が入りました。最後には、中森貫太さんによる質疑応答もありました。
講演は、葛西聖司さん。タイトルとしては「隔てるもの・乗り越える力」というものでした。このコロナ禍にぴったりのものです。アナウンサーでもあり古典芸能の解説もしているとあって、手慣れていて冗談も交え、とてもわかりやすかったです。能舞台の2カ所の金属の部分(滑車と環)が、この演目の鐘を設置するためだけに用意されているのだということも知ることができました。80~90㎏の鉛の重しをつけた鐘、鐘の中での変身の難しさ、見せ場の乱拍子はシテと小鼓との長い一騎打ち、足を見ること、三角の動きの意味(蛇の鱗)、急の舞への移行、もちろん鐘入りのところ、後シテ(蛇)の登場、蛇と僧との攻防等々、見所を聞きました。囃子方や地謡の着物も、この曲では裃着用ということです。若手能楽師の登竜門ともいわれる舞台は、今回、中森健之助さんの初演です。

さて、狂言です。「樋の酒」は、桶かと思ったら、樋でした。つまり「とい」です。外出する主人は、酒好きの太郎冠者を米蔵の、そうでない次郎冠者を酒蔵の番につけます。飲みだしてしまう次郎冠者をうらやんで、太郎冠者は場所を移動しないで樋を渡して酒をもらうことを思いつきます。でもそのうちに・・・。
まさに隔てる・乗り越えるでした。

:石田淡朗、太郎冠者:野村萬斎、次郎冠者:高野和憲

いよいよ、能「道成寺」です。観世小次郎信光作といわれます。今回は久しぶりに正面のよい席で観ることができました。
紀伊国道成寺は古刹ですが、釣鐘が失われたままとなっていました。それが数百年振りに新造されることとなり、住職は寺男に女人禁制を守るように言います。そこに白拍子が現れ、何とか寺へ入り込みます。烏帽子を身につけた女は鐘を見つめて決心をかため、乱拍子を見せ、小鼓との迫力ある一騎打ちです。そこから炎のような舞に移り、人々が寝静まった後、女は鐘をつかんで引き落とし、中へと吸い込まれます。
住職は女が蛇になった昔話を語った後、住職達は女の執着をなだめる祈祷を始めますが、鐘が上がり蛇が現れ、攻防の末、蛇は日高川へと身を投げます。

じっくり作品を楽しむことができました。解説のおかげです。細かいことはまだまだ理解できていませんが、このような大曲をしっかり観ることができたのは幸いです。なお女の執心は、宿を借りた僧と結婚するのだと思いこまされた少女の思いにより生じたもののようで、哀しいものがありますね。いろんな伝説があるようですが。鐘の準備・設置・後片付けなども興味深かったです。

前シテ/白拍子、後シテ/蛇體:中森健之助、ワキ/住職:森常好、ワキツレ/従僧:舘田善博、ワキツレ/従僧:梅村昌功、アイ/能力:野村裕基、中村修一

なお、「鎌倉能舞台」は、鎌倉にて公演を行うとともに、今回のように東京や横浜での公演も行っています。

ジョージ について

旅行大好き、飲食大好き、劇場、博物館・美術館大好き、好奇心旺盛なごくふつうの会社員です。社会問題含め、いろいろ書いていこうと思います。
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