セルリアンタワー能楽堂 狂言「成上り」と能「卒都婆小町」を観る

連続して能の公演に行ってきました。今回は渋谷にあるセルリアンタワー能楽堂です。会場舞台の近くまで行ったことはありましたが、実際の公演の鑑賞や内部に入るのはおそらく初めてだったと思います。ここは渋谷駅の南西方向へ歩いて5分くらいの、セルリアンタワーの地下2階にあります。タワーはホテル、オフィスなどの複合ビルとなっています。

座席は最大201席とやや小ぶりな舞台です(ちなみに国立能楽堂は後ろの席も入れて627程度です)。橋掛かりの長さも短め、3つの松もやや貧弱です。座席の周辺もすぐに壁であったりしますが、舞台が身近に感じる利点もありましたし、建物はしっかり堂々としていました。来ていた人たちは常連さんだったり、少人数の家族で来ていたり、初めての体験なのかゆっくり記念撮影する若い男女だったりいろいろなのですが、なんとなくアットホームな雰囲気がありました。みんなそれぞれに公演を楽しみに来ている感じです。今回は開場20周年記念定期能(宝生流)とのことで、そう20年経っているのですね。私が観たのは第一部の狂言「成上り」(約20分)と能「卒都婆小町」(約95分)です。その後に入れ替えて第二部があります。私は今回は、値段が高めなこともあり、中正面の席を選んでいました。

公演に先立ち、金子直樹さんによる能についての解説がありました。とてもわかりやすい話で、これがなければ小町と僧との深いやりとりがある能であることなどわからなかったでしょう。
小野小町はもちろん、平安時代の歌人。絶世の美女とされますが不明です。小町に関するいくつかの能がありますが、若い時代の活躍を描くというより、年老いた頃のこと、深草少将の百夜通い伝説などを題材とするものなどが多いようです。そしてこの作品は、年老いた小町がシテである(夢幻能でなく)現在能です。観阿弥作です。
高野山の僧が、疲れて朽ち木に座った乞食の老婆を、それは仏体色相の卒都婆(ストゥーパ、丸い塔から来ている)であるととがめます。そこから、2人の激しいやりとりが始まります。ただものではないと思った僧は、名を尋ねると小野小町と名乗ります。そこから、昔の華やかさと今の境遇を語った後、突然小町は狂乱の状態になり、烏帽子・長絹をつけて深草の少将が憑いた姿を見せます。のち、我に返った小町は悟りの道に入ることを願うのでした。
なかなか激しく、奥深い能でした。今回のシテの面は、「関寺小町」で使用される面での上演ということでした。

シテ/小野小町:武田孝史、ワキ/高野山の僧:森常好、ワキツレ/従僧:舘田善博、:藤田次郎、大鼓:國川純、小鼓:鵜澤洋太郎

紹介が逆になりましたが、狂言「成上り」です。主と太郎冠者が清水に詣でて通夜をしたときに、すっぱ(盗人)に太郎冠者に預けた太刀を杖竹にすり替えられてしまいます。失敗をごまかそうとした太郎冠者は、成り上がりの例をあげながら太刀が杖竹に成り上がったと強弁するのですが。
すっぱのすり替えのシーンや、主と太郎冠者のやりとりが楽しい狂言です。

太郎冠者:山本東次郎、:山本凜太郎、すっぱ:山本則俊

ジョージ について

旅行大好き、飲食大好き、劇場、博物館・美術館大好き、好奇心旺盛なごくふつうの会社員です。社会問題含め、いろいろ書いていこうと思います。
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