国立能楽堂 5月定例公演 狂言「蝸牛」と能「西行桜」

このところ国立能楽堂に月に1回は行っていますが、今回は5月定例公演です。
まずは、狂言「蝸牛(かぎゅう)」(大蔵流)です。

主人から、祖父の長寿の薬にするからと蝸牛(かたつむり)を取って来いと言われた太郎冠者が、頭が黒く、腰に貝を付けていて、大きいのは人くらいあると聞いたものを探しに行きます。ちょうど羽黒山の修行から帰って藪の中で寝込んでいた山伏の風貌がぴったりと見て声をかけると、山伏ものってきました。「でんでん虫々・・」との2人での掛け合いが始まります。あろうことか主人も一瞬それにのってしまい・・。掛け合いの謡と仕草が楽しい作品です。

シテ/山伏:茂山逸平、アド/主:網谷正美、アド/太郎冠者:丸石やすし、:赤井啓三、小鼓:岡本はる奈、大鼓:亀井洋佑

今回、こちらは囃子方まで名前を載せました。今までも、解説や後見などで女性が舞台に登場することもありましたが、この上演では、狂言が進み始める前の短い間でしたが、囃子方の中に女性が登場しました。なかなか堂々たる囃子でした。岡本はる奈さん。解説冊子にも名前が載っていて、国立能楽堂第八期能楽研修終了、と書いてありました。研修所出身だったのですね。こちらにインタビューも載っていましたし、ご自身のブログもありました。女性もそうですし、研修所出身の方もどんどん活躍してほしいですね。

そして休憩後、能「西行桜(さいぎょうざくら) 小書:素囃子(しらはやし)」(観世流)です。4月の公演同様、「花への愛惜」がテーマのものといってもよいでしょう。それが、西行の和歌に関連して語られるのです。

京都西山の西行上人の庵の桜は満開ですが、今年は花見を禁じると、仕えるもの(能力)に伝えさせます。しかし庵を訪れた花見客の頼みに対して許します。そこで詠んだ歌が「花見にと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の科(とが)にはありける」(『山家集』がもと)です。
客が去った夜、老桜の精が現れます。そこで言うことには「花には罪はない」と。歌人と老人の姿をした花の精との心の交流を描いた、世阿弥作とされる夢幻能です。
『泰山木』では、桜の「作り物」が舞台の前の方に置かれましたが、『西行桜』では後方に置かれます。また作り物の中には、あらかじめ老桜の精が潜んでいました。
シテの梅若実さんは人間国宝ですが、今回直面(ひためん、面をつけないこと)で登場。さびた演技はさすがですが、やはり体調が悪いのか杖をつきながらの上演です。賛否はありそうです。しかしベテラン、中堅、若手、それぞれの味わいとそれぞれの人生を背負った舞台こそ生の醍醐味ともいえます。今回の狂言、能はいろんなことを考えさせられました。

シテ/老桜の精:梅若実、ワキ/西行上人:福王茂十郎、ワキツレ/里人:福王和幸、ワキツレ/里人:村瀬提、ワキツレ/里人:村瀬慧、ワキツレ/里人:矢野昌平、アイ/能力:茂山七五三

ジョージ について

旅行大好き、飲食大好き、劇場、博物館・美術館大好き、好奇心旺盛なごくふつうの会社員です。社会問題含め、いろいろ書いていこうと思います。
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