4月に企画公演に行ってきました。今回は、狂言「木六駄」(大蔵流)と能「泰山木(たいさんもく)」(復曲能)です。
初めに、京都芸術大学舞台芸術研究センター所長の天野文雄さんの話です。復曲能である「泰山木」のつくられてから今回の上演に至る経緯の概略がわかりました。この演目はひと言でいうと、「花(春)への愛惜」がテーマで、このテーマではほかに「西行桜」や「熊野(ゆや)」などがあるということです。
これは世阿弥の作ということで、創作した当時は、足利義持の大病といった背景があり何回か上演されていたようですが、その後「泰山府君(読み方は、たいさんふくん、たいざんふくん、たいさんぷくん、とまちまち)」と名称がなりましたが上演は少なく、江戸時代でもほとんどなかったということです。一時、観世流で行われましたがまた途絶え、明治時代に金剛流に入ったがまず行われていないところ、昭和35(1960)年京都で観世流のもので行われ、平成12(2000)年に大阪で観世流が「泰山木」として復活、その間金剛流は20回くらい行っていたといいますが、この度ワキ方の福王会が企画して行われたものがもとになり、今回の上演になったという、書いていても複雑で(間違いもあるかもしれません)、貴重な復曲作品ということはわかりました。おまけに、今回は流派の異なる演者が同じ舞台に集って行われる「立会(たちあい)」という形で行われる上演ということでした。泰山府君は命を司る道教の神、泰山木は桜の別名です。
解説が終わると、すぐに狂言「木六駄」です。主が太郎冠者に、大雪のなか都の伯父に薪と炭と諸白(清酒)を手紙とともに12匹の牛に乗せて持って行けと命じます。苦労して峠に着き茶屋に入った太郎冠者は、休息に酒を求めるがないので、つい勧められるままに持っている酒に手をつけ宴会になってしまいます。一眠りの後、茶屋に置いてきた薪や数匹の牛以外、つまり炭六駄(駄とは、動物に負わせる荷物)だけを持って行程を続けます。伯父のところに着いた太郎冠者は、手紙に書いてある木六駄とは自分のことだとか、いろいろ言い訳をして逃れようとするのですが・・・。
牛を追い立てるシーンなどは竹1本での持ち物での表現、橋掛かりの場を効果的に利用したり、酒席での舞もあり、また伯父とのやりとりなど45分もの大曲は演技力が発揮された上演でした。
シテ/太郎冠者:茂山千五郎、アド/主:茂山宗彦、アド/茶屋:茂山七五三、アド/伯父:松本薫
休憩後、いよいよ能「泰山木」です。初めに登場した花守が桜の作り物を舞台上に設置します。桜を愛する桜町中納言は、7日しかない桜の盛りを延ばそうとして泰山府君の祭りを行います。桜に惹かれた天女が現れ、中納言の目を盗んで一枝を手折り帰っていきます。後場では、花守が桜の枝が折られているのに気づきます。そこに泰山府君がいかめしく登場。小癋見の面をつけています。泰山府君は花の命を延ばすのに自分を祀ることに不満を漏らしますが、結局中納言に同調します。天女が枝を手にして登場し、舞を踊ります。散り始めた桜を見て悲しんだところ、泰山府君が枝を接ぎ木し、さらに神通を働かせると、3倍の21日にも花の盛りが延びるのでありました。
ワキが基本、片隅にいるだけなのに対して、シテが2人舞台上で交わるのも興味深く観ました。また今回、立会というだけでなく、シテの面は、天女役の観世宗家が金剛宗家の所蔵面「雪の小面」を、泰山府君役の金剛宗家が観世宗家所蔵の「小癋見」をつけ、そして装束も泰山府君が観世宗家所蔵の「花色地青海波亀袷狩衣」を用いての上演ということで、歴史的にも貴重な機会に遭遇したことになります。
天女:観世清和(シテ方観世流)、泰山府君:金剛永謹(シテ方金剛流)、桜町中納言:福王茂十郎(ワキ方福王流)、臣下:福王和幸(ワキ方福王流)、臣下:福王知登(ワキ方福王流)、花守:茂山千三郎(狂言方大蔵流)
今年は、十分な花見の機会もありませんでしたので、ついでに桜のいくつかの写真も掲載しておきます。
追加 この復曲能が、1年間限定ダイジェスト公開されていますので、貼り付けておきます。